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新潟地方裁判所 昭和43年(ワ)205号 判決 1970年1月14日

原告 大野一郎

右訴訟代理人弁護士 今成一郎

被告 大野かね

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 石田浩輔

主文

一、亡大野洋一が昭和四二年八月一八日付自筆証書でなした遺言が無効であることを確認する。

一、訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

一、申立

原告  主文同旨の判決

被告ら 請求棄却の判決

二、原告の請求原因

(一)  原・被告らはいずれも昭和四二年一二月二〇日に死亡した大野洋一の相続人(被告かねは同人の妻、原告とその余の被告はいずれも同人の養子)であるが、被告かねは昭和四三年一月初旬頃亡洋一の遺言書を発見したと称して新潟家庭裁判所に遺言書検認の申立(同庁同年(家)第二五一号)をなし、同裁判所は同年二月一六日原・被告ら全員を審問の上右遺言書の検認をなした。

右遺言書は自筆証書の方式によるものでその作成日付は昭和四二年八月一八日でありその内容は左記のとおりである(以下これを本件遺言書という)。

一、妻大野かねの相続分は現在住んでいる家屋と宅地全部を与える。

二、相続人大野定助の相続分は現在ある田畑類全部を与える。

三、相続人大野六郎の相続分は高山の宅地と家屋とその外の宅地全部を与える。

(二) 然し本件遺言書によってなされた遺言は次の理由によって無効である。

即ち、洋一は昭和四一年八月三一日脳動脈硬化症にかかって左半身不全痲痺となり言語障碍を来たし、昭和四二年五月初旬頃から右症状がひどくなって精神状態も愚鈍となり思考力、記憶力も衰え老人性痴呆の状態となった。原告が同年八月一四日洋一方に赴いた際、同人は既に原告の顔を見ても判らず、食事は独力でとることができず、口からはよだれをたらし全くの痴呆状態にあった。そして同年一二月初旬頃から意識不明となり同月二〇日に死亡したものである。

従って本件遺言書が作成されたという同年八月一八日当時、洋一は痴呆状態のため遺言能力はなく、また本件遺言書はその筆跡からみても洋一が自書したものでないから、右いずれの理由からしても本件遺言書による遺言は無効である。

(三) 然るに被告らは右遺言が有効であると主張しているのでその無効確認を求める。

三、被告らの答弁と主張

(一)  請求原因第一項はすべて認める。

(二)  同第二項は洋一が昭和四一年八月に脳動脈硬化による左半身不全痲痺と言語障碍の症状を呈したことは認め、その余は否認する。

(三)  本件遺言書は次のような経過で有効に作成されたものである。

(1)  亡洋一と被告かねは昭和二五年一月一四日原告と養子縁組をしたが、折合が悪く縁組を継続してゆくことが困難と思われる事態にたちいたり、昭和三七年に離縁の訴を新潟地方裁判所に提起したが期待に反し昭和四〇年六月一一日亡洋一ら敗訴の判決があり、右判決は確定したけれども亡洋一と原告との感情的阻隔は解消できず、同人は原告をうとんじ続け生前近しい親族に対して本件遺言書と同じ内容の遺言をしたいと訴え、また昭和四二年八月一八日本件遺言書を作成した後はそのことを話して安堵していた。

(2)  亡洋一は昭和四一年八月以降一進一退の病勢を続けていたが、本件遺言当時はなお指南力、理解力、記銘力が正常に保たれ床上に自力で起きあがることもでき、構音障碍のため言語は渋滞しがちであったところから意思の伝達はもっぱら筆談に頼っていた。従って亡洋一の本件遺言時の精神状態は正常であり遺言能力を有していたことは明らかである。

(3)  本件遺言書は亡洋一が自書したものである。もっとも当時同人は前記のように左半身不全痲痺の症状があらわれ、その影響により筆記自体は不可能でなかったが、握力が低下し、手が震え、そのまま放置すると行体が右方向に流れ易く、またその時々の病状いかんにより巧拙の差が激しかったため、本件遺言書は被告定助が運筆に難渋する洋一の手を支持し同人の欲する文字を書かせた。

このような状況のもとに本件遺言書が作成されたことは、遺言書の体裁自体によっても窺い知ることができる。即ち、本件遺言書の体裁には、

(イ) 行体が右に流れるのを抑止しようとする跡が見受られること。

(ロ) 各文字が筆勢を欠きしまりがないこと。

(ハ) 二行目と末行に「大野洋一」なる文字、五行、七行、九行に「大野」なる文字があるけれども、これらの文字の形状、筆勢が必ずしも一定していないこと。

などの特徴があげられ、これらはいずれも運筆の不自由さを他人の力によって補充したことに由来するものである。

(4)  そして自筆遺言証書における自書か否かの判断は字体、筆跡そのものによる識別のほか、遺言者の筆記能力の有無程度、更には逆に遺言内容からさかのぼって情況証拠を検討し総合的に判断すべきであり、本件遺言書は(1)ないし(3)に記載のとおり亡洋一の真意に出たもので、ただ同人が左半身不全のため運筆に難渋したところから被告定助の補助を受けて記載したに過ぎず、従って本件遺言書は有効に作成されたというべきである。

四、証拠関係≪省略≫

理由

一、請求原因第一項の事実はすべて当事者間に争いがない。

二、よって以下本件遺言が有効になされたものかどうかについて検討するに、本件遺言は被告らが亡洋一の自筆証書と主張する本件遺言書によってなされたものであるから、これが有効であるためには先ずもって本件遺言書の全文、日付、氏名が亡洋一の自書したものと認められなければならない。

そこで右の点につき証拠をみると、証人大野洋二は本件遺言書には亡洋一の筆跡に似ているところと似ていないところがあり全体として亡洋一が自書したものかどうかは断定できない趣旨の証言をしており、また鑑定人丹羽恭示は本件遺言書末尾の「大野洋一」なる氏名の文字は洋一本人の筆跡ではなく被告定助の筆跡と同一である旨の鑑定をしている。そして他に本件遺言書記載の文字が亡洋一の筆跡であると断定している証拠は全くない。

右各証拠を総合すれば、本件遺言書はその筆跡からみて亡洋一が自書したものとはとうてい認め難く、この点からしてたとえ被告ら主張のように本件遺言書の作成とその内容が亡洋一の真意に出たものだとしても同人が自書したものと認め難い本件遺言書は自筆遺言証書としての方式に違反しており無効というほかない。

右の点につき被告らは自筆遺言証書における自書か否かの判定は単に筆跡のみでなく、被告らの主張する(1)ないし(3)のような諸般の事実を総合考慮して判断すべきであるという。

然し自筆証書による遺言は、各人の筆跡がそれぞれ固有の特徴を有し容易に他人の模倣を許さないということから、遺言者の真意を自書(即ち筆跡を残す)という方式によって確保しておこうという制度であるから、自書か否かの判定は先ず第一に筆跡の識別に拠るべきであり、その識別が不明確な場合はじめて他の情況証拠による判定の方途を用いるべきであろう。

してみれば本件の如くその筆跡からみて遺言者本人の自書と認められないばかりか、むしろ遺言内容に利害関係を有する第三者の筆跡と認められるような本件遺言書をもって自筆遺言証書と解すべき余地はないものと考える。

三、以上のとおりで、本件遺言書による遺言の無効確認を求める原告の請求は理由があるから認容することにし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 井野場秀臣)

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